思案石 :高槻城の名残
京口町から大手町あたり
やたらお寺の多いエリアがあります。
そのエリアの端に本行寺(ほんぎょうじ)というお寺があるのですが
その本行寺の南西曲がり角は 少し広めの道路に面していまして
その曲がり角の内側歩道に かつて
黄色くペンキを塗られた石が
ぼこっと 地面に突き出しておりました。
京都だと、『いけず石』とも呼ばれる
建物の角を保護する目的(?)
で置かれる石がありますが
これ、明らかに個人の土地ではなく
公道の部分にあります。
だいたい何故、まっ黄っ黄に
ペンキで塗られているのか。
と 長いこと謎だったのですが
これが「思案石」と呼ばれている
という事を知りました。
どうも その場所
高槻城があった時、お堀の岸角にあたる場所だったらしく
生活苦から 思いつめた人が
その石に腰掛けて
『飛び込もうかどうしようか』と 【思案】したという
いわく付きの石だったと。
(本当かどうかは不明)
故に この石を
撤去しようとしたり うっかりふんづけたりすると
祟られるとか
いろいろ噂がありまして
あの黄色いペンキは
道を歩く人が うっかり つまずいたりしないように
と 塗られたものらしいです。
その『思案石』、今年に入って気がつくと
消えているではありませんか。
かつて石があった場所は
きれいに舗装しなおされて まっ平。
祟りをものともせず、とうとう撤去された?
と 思っていたら
掘り出された後、
高槻城(跡)の北側にある
しろあと歴史館に移設されていました。
(2012年3月8日のことらしい)
しろあと歴史館入口の左側
植え込みと掲示板のある辺り。
よく見ると、
道路にあった状態から
横倒しになっていますね。
舗装で埋まっていたラインがくっきりと。
かすかに 黄色いペンキの名残もあります。
落とすの、大変だっただろうなあ…
で
祟られないのか?
と皆が心配したようですが
ちゃんと 供養もして
掘り返した後には御札があるとかないとか。
ちなみに
よくこの石を調べると
どうもお城の石垣の一部らしく
じゃあ、
お堀のほとりにあったわけでは無いのでは
と
怪談そのものが怪しくなるのですが
何だかんだで
しろあと歴史館の来場者は 増えているかもしれません。